「横浜から新潟に移住してから3年」得た教訓について

新潟移住3年

2021年の7月に横浜から新潟へ移住して3年が経ちましたので、改めてその時のことを思い返してみます。

私の出身は神奈川県の逗子市というところで、いまもそこに実家はあります。
新潟に来る前は、2010年から横浜市営地下鉄「センター南」駅の近くでスノーボード専門店を経営していたので、横浜市都筑区に10年近く住んでいました。

そして、2019年10月末でお店を閉め。お店をやめた理由はいくつかありますけど、一番は移動を制限されたままではできることが限られてしまうということでしょうか。
やはりお店があるとどうしても横浜近郊での活動がメインになってしまうし気軽に遠出もできない。これから自分がやりたいと思う仕事のやり方や生き方に合っていないと思ったのでキッパリとやめました。
この時点では移住までは考えていませんでしたけど。

 

シェアオフィス

お店をやめたあとの活動拠点として、事務所を借りようとしたけどなかなか理想としていた場所や賃料に見合う場所が見つからず。
とりあえずと思って、横浜みなとみらいにあるシェアオフィスを借りたけど、結果的にこれが良かった。

仕事は自社のスノーボードブランド運営のほか、いくつかのスノーボード関連の会社から業務委託的に仕事を頂き、あとはオンラインサロンの立ち上げと情報発信という感じでしょうか。

業務委託は自分で在庫などを持つ必要がないので身軽に動けるし、オンラインでの仕事はどこでもできる。
唯一場所を必要とするのが自社ブランドの商品を置くくらいですけど、大量に販売しているわけではないので置き場だけで言えばニ畳くらいのスペースがあればなんとかなる。

シェアオフィスは一番小さな六畳程度の個室を借りて、もちろん備品なんかは全て揃っているので初期費用もかからなかった。

 

預言者?

お店をやめて身軽になった状態で仕事を再開するとすぐに来たがコロナです。
このとき本当に救われたことと言えばお店を閉めていたこと。
あまりのタイミングでお店を閉めたので、当時は何人もの人から「予言してたの?」と言われるくらいだったし、自分でも驚いた。

ただそうなると、借りたシェアオフィスもほとんど出入りすることができず、荷物置き場と少しの作業をする程度の場所になってしまい。ほとんどは自宅で作業をすることが多かった。

 

そもそも

そんな状態で1年半ほど経ったとき。誰もがすぐに治まるだろうと思っていたパンデミックによる規制もズルズルと続き。いったいいつまで続くのだろうと思いながら、その中でもやれることを必死にやっていた。

しかし徐々にオフィスへ行く頻度も減り、可能な限り荷物を自宅へ運び仕事をしていると。
「これオフィス借りてる意味無いよな」
だったら自宅を引っ越して少し広いところに住み、自宅兼で仕事をした方がいいかなと考えた。
それでオフィスを解約すれば両方合わせた家賃も安くなるし。

そうなると少し広い自宅を借りないといけないので、最初は郊外にでもと考えたけど。
「そもそも、横浜(神奈川県)にいる意味あるのか?」

どうせ気軽に人に会えないんだし、ほとんど自宅で仕事できるんだから横浜にいる必要はない。
それに、パンデミックの影響で移住している人がいるなんて話も聞いていたから、すぐに地方移住という選択が頭をよぎった。
もしかしたら多少の不便はあるかもしれないけど、そんなのはやってみなきゃ分からない。

 

思い立ったら

何事も思い立ったら即行動タイプなので、善は急げと数日後には自宅を借りている不動産屋さんへ行って解約届を出し。
この時まだ次の家は決まっていなかったけど、地方移住するなら行先は新潟と決めていたし、探せばすぐに見つかるだろうと思っていた。
何より動き出さないとはじまらない。

先ほどシェアオフィスで良かったと言ったのは、1年更新の契約だったのですぐに解約することができ。そもそもオフィスを準備するのに先行投資もしていないので簡単に出ることができた。
もし賃貸オフィスを借りてアレコレ備品を買っていたらこんなに簡単に移動できなかっただろう。
この点についても運がよかった。

 

奥さん

気がかりと言えば奥さんのこと。このとき、子供はいなかったけど横浜にある会社で仕事をしていたし。奥さんは横浜で生まれ育ち横浜から出たことがなく、もちろん新潟にはなんのゆかりもない。

仕事はパソコン作業がメインで、さすがに緊急事態宣言中は在宅勤務もしていたけど。会社的にはテレワークを推奨していなくて、可能な限りは出社しろという方針でした。

ここからは私の勝手な意見です。
テレワーク推奨していないとはいえ、テレワークできないことはないんだから新潟からでも仕事できるよね?
それに、パンデミックで皆がピリピリしている中、毎日電車に乗って通勤するの大変じゃない?
という優しさも含まれています(笑)

結果、半ば強引ではありましたけど新潟移住に賛成してもらい。
会社にも「旦那の仕事の都合で引っ越ししないといけなくなった、、」ということで、テレワーク勤務の承諾をもらうことができた。

こうして、奥さんが勤めていた会社的には初の完全テレワーク人材となり。最初の頃こそ月に一回くらいは出社してほしいなんて言われていたみたいだけど。半年も経たないうちに、月一の出社もしなくていいことになり。
さらに言えば、テレワークでも十分仕事ができると分かったのか。その会社ではいまテレワーク人材の募集まではじめたとか。

ほら、なんでもやる前からダメと決めつけずに、まずはやってみようということじゃないですか。

 

教訓

ということで、「移住する」と決めてから、1ケ月半後には引っ越しをして、あっという間に新潟での移住生活のスタート。

私が居住地を決めたのは新潟市内。
「スノーボードの仕事してるなら、湯沢とかじゃないの?」なんてことも言われたけど。横浜に比べたら十分山に近いし、馴染みもあるから最初から決めていた。

アレコレ考えてたって何も始まらないし、何も解決しない。
とにかくまずはやってみる、やってダメなら修正すればいい。それくらいの気持ちじゃなきゃ自分の環境なんて変えれない。

それに、
お店を閉めたことに対してネガティブにとらえた人が多かったけど、結果的にそれが自分を救った。
理想の賃貸物件を借りられずにガッカリして、シェアオフィスで妥協したけど、結果的にそれが自分を救った。

このことで得た教訓といえば、
「周りに流されて意に反することを続けない」ということと、「無理せずいまの環境をつねに前向きにとらえる」ということでしょうか。

あのとき、「お店を続けてほしい」なんていう周りの意見に流されてお店を続けていたらどうなっていただろう。
あのとき、賃料が高くなってもいいからと無理して理想の場所を借りていたらどうなっていただろう。
もしかしたらどちらも上手く行っていたかもしれないけど、そんなことは誰にも分からない。

3年経って思うことは、どうせ環境を変えるなら大きく環境を変えた方がいいということ。周りの意見や過去にとらわれて中途半端に動いても新しいことはできない。

そう思います。

それでは次のブログで、横浜から新潟へ移住して3年で感じたメリットデメリットを紹介したいと思います。

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