「500枚限定」が教えてくれたこと

こんにちは。
スノーボードメーカーとしてボードの企画、開発、運営をしたり。コミュニティサロンを運営したり。DOMINATOR WAXアドバイザーなんてこともしている名取です。
ブログではスノーボードに関する情報や仕事のこと日々思ったことを書いています。

SURGEとの出会い

私がスノーボード業界に入ったきっかけは本当に偶然だった。そして、その直後に「SURGEというブランドを立ち上げるので手伝ってくれないか。」という誘いを受けたときからスノーボードメーカー人生が始まった。(2004年)

しかし、2009年いっぱいでSURGEを辞め。その後すぐに、スノーボード専門店の経営と同時にFOSSIL SNOWBOARDというブランドを立ち上げた。

でも、私にとってはSURGEとの出会がいまの自分を作りあげたし。ここに関わらせてもらったからこそ、いまこうして自分のブランドを持ちいまでもスノーボード界で仕事ができているのは間違いない。

MUSIC誕生

いまでもよくSURGEという名前を出していますし。革新的なボードとして誕生した「MUSIC」というモデルは当時のSURGEを救ってくれたと言っても過言ではないモデルだったという話をしています。

いまではすっかりお馴染みとなりました、中国のスノーボード工場「ヤクイ」ですが。このヤクイ工場が最初に日本ブランドと取引を始めたのがパイオニアモスであり。最初に作ったモデルがこの「MUSIC」なんです。(2006年)
そしてその後、Snowstick復刻ということで、ヤクイ工場を使ったMOSS snowstcikの製造が開始されました。(2007年)

なぜMOSSではなくSURGEで最初に作ったのかというところまで説明すると長くなりますのではぶきますが。
とにかく、ヤクイ工場を使うことでこれまでできなかったボードを作ることができるようなったこともあり。いまで言うハイブリッドキャンバーのさきがけでもあるし、ノーズとテールがロッカーしていてショートサイズで使うボード。いまでこそ珍しくはないけど、当時はまだどこのブランドも出していなかった。
もちろんMOSSsnowstickもそのおかげで復刻することができたと言ってもいいのではないでしょうか。

最低でも500本

ただ、正直なことを言えば、SURGEブランドは立ち上げから上手く行っていなかった。3シーズンほどやっても全然売れず、当初の出資者の方に「これ以上は無理だ」と言われ。その後を引き継いでくれたのがパイオニアモスだった。(2007年)

それから私はSURGEブランド担当者としてパイオニアモスに入り。ここから、パイオニアモスのバックアップと、先ほど言ったようにMUSIC誕生による快進撃でブランドは全国に広がり徐々に売れるようになった。

しかし、SURGE担当として課せられた使命は「最低でも500本は売れるようにしないとブランドとして成り立たないからよろしく」です。
ようするに、500本売れるようになってようやくブランドとしてスタートラインに立てるというわけです。
だから私はなんとかして500本売れるブランドにしようと必死で頑張り、2年目の2009年には目標達成間近(450本くらい)まで行く事ができたけど、やはりその壁はなかなか高い。
ブランド立ち上げから5年経っているにもかかわらず。まだスタートラインにも立てなかった。

そんな目標達成間近にもかかわらず、かくかくしかじかあり私は2009年末でSURGEを辞めることに。

これ以上はここで書けませんので、詳しく知りたい方は『SNOWBOARD2.0』に全て書いてありますのでよかったらどうぞ。

500枚限定

はい、だいぶ前置きが長くなりましたが。実は今日の本題はここからです。

というのも、私がよくSUREGとかMUSICとかの話題をしているからだと思います。最近、私の運営するスノーボードコミュニティのメンバーさんがメルカリで「MUSICの中古品を買った!」という投稿をしていまして。
そしたら、メルカリにはMUSICの中古品が結構沢山出品されていて。私としては「おぉ!懐かしい!」という感じだったんですけど。

そのメルカリに出品しているMUSICの中に。
「限定500枚!激レア!」と書いて出品されている方がいて。

別にこれを晒したいとか、嘘だとか言いたいわけではありません。
まぁ強いて言うなら、500じゃなくて50にすればいいのでは?と思います。実際にそれくらいだったので。

売れなかったからこそ

でね、これを見てなにを思ったかって話しで。
あのときもしMUSICだけで500本も売れていたら、たぶんいまの私はなかったと思う。

売れなかったからこそ、必死で日本中駆けずり回り、飛び込み営業も散々したし。試乗会も冬だけじゃなく、夏の間は神奈川県のスノーヴァ溝ノ口はもちろん。福岡、広島、愛媛まで行って室内ゲレンデでも試乗会を続けていた。
さらにその頃、「ボードの勉強しなきゃ」「(ブランドは売れてないけど)せめて人一倍ボードに詳しい人にならなきゃ」という気持ちもあって、モスの倉庫にある古いボードも片っ端から乗って、設計図も見せてもらいながらひたすらボードの勉強をした。

この経験があったからこそ。
散々飛び込み営業していた経験を買われて、スノーボードショップのオープンを手伝ってくれないかという声をかけてもらい、そこからそのお店を引き継ぐことになり。
試乗会を必死でやっていたからこそ、その大切さが身に染みたし。
古いボードを片っ端から乗って勉強したおかげで、仕組みを細部まで理解できるようになり、自分でブランドを立ち上げる自信にもつながった。

だからもし、あのときMUSICだけで500本売れていたら。こんなことしていなかったと思うし。間違いなく調子こいて努力なんかしなかったと思う。

そう思うと、どんな状況になっても緊張感をもって努力するということを思い出させてくれました。

ありがとうございます。
誰か買ってあげてください(笑)
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